ニュースの概要
米ブルームバーグが、米国社会の変化を象徴する話題として「サードプレイス」の衰退を取り上げた。サードプレイスとは、自宅でも職場でもない、人が気軽に集まる第三の居場所のことである。かつて米国では、仕事帰りにボウリング場へ寄り、仲間と談笑するのが日常の風景だった。しかし今は、ボウリングのリーグ戦に通う人が減り、多くの時間が手元のスマートフォンに吸い込まれている。記事は、娯楽の中心が「みんなで集まる場」から「一人で画面を見る時間」へ移ったことを、ボウリング場という身近な場所を通して描いている。単なる娯楽の流行の変化ではなく、人と人との結びつきが細っていく社会の姿が見えてくる、というのが話の骨格である。
引用元: ボウリングよりスマホ、米社会の変化映す-消えゆく「サードプレイス」(Bloomberg)
分析・見解
ボウリング離れは、娯楽の流行ではなく関係の衰えだ
ボウリングが象徴的なのは、遊び方そのものが「つながり」を前提にしていたからである。チームを組み、毎週同じ顔ぶれで集まり、勝っても負けても帰りに一杯やる。技術を競う場であると同時に、近所の人と顔見知りになる仕組みだった。
米国の政治学者ロバート・パットナムは、2000年の著書『孤独なボウリング』で、ボウリング人口は増えているのにリーグ戦への参加は減っていると指摘した。一人で投げる人が増え、チームで集まる人が減ったのである。今回のニュースは、その流れがスマホの普及でさらに進んだことを示している。
スマホは場所を奪ったのではなく、場所の代わりになった
スマホが悪者だと決めつけるのは単純すぎる。むしろ、人が集まる場所が先に減っていた。商業施設の閉店、車中心の街づくり、家賃の上昇で、気軽に寄れる店が少なくなった。その空白を、手の中の画面が埋めたと見るほうが実態に近い。
ここで大事なのは、画面の中にも「居場所」は存在するという点だ。ゲームの仲間やSNSのコミュニティは、確かに人をつなぐ。ただし、顔が見える偶然の出会いや、天気の話をする程度の軽い付き合いは生まれにくい。強い絆はあっても、弱い絆(=顔見知り程度の関係)が育ちにくいのである。
日本でも同じ構図が進んでいる
日本でも、昭和の時代に町にあった銭湯、喫茶店、商店街の将棋会所は、年々数を減らしている。厚生労働省の統計では、銭湯の数はピーク時の約1割まで減った。一方で、スマホの利用時間は右肩上がりだ。
特に若い世代では、友人と会わなくても通話アプリで常時つながっている。便利だが、「用事がなくても顔を出せる場所」が消えたことで、困ったときに頼れる人が見つかりにくくなる。孤独は、人付き合いの量ではなく、気軽さの欠如から生まれる面がある。
反動として、手を動かす集まりが静かに伸びている
興味深いのは、逆の動きも出ていることだ。米国では編み物クラブ、ランニングクラブ、ボードゲームカフェなど、画面を使わない集まりが若い層で人気を集めている。スマホ漬けの反動として、体を使う、手を動かす場を求める人が増えているのである。
これは単なる懐古ではない。画面の外に出る行為そのものに価値が生まれ、人が集まる理由になっている。サードプレイスは消えゆく一方で、新しい形で作り直されつつある、というのが筆者の見立てである。
ビジネスへの影響
場を持つ企業は、滞在そのものを商品にできる
飲食店、書店、スポーツ施設、商業施設を運営する企業にとって、今回の変化は逆風であると同時に好機でもある。単に商品を売る場ではなく、「居心地のよさ」「顔見知りができること」を価値として打ち出せるからだ。
具体的には、常連同士が自然に話せる席の配置、月1回の参加型イベント、スマホを預けて過ごす時間帯の設定などが考えられる。ボウリング場でも、リーグ戦の復活や職場対抗戦の誘致が、客単価の安定につながる。
社内の居場所づくりも、定着率を左右する
リモートワークが広がった企業では、社員にとっての職場が「画面の中」になった。雑談の機会が減り、孤立を感じて離職する人も出ている。オフィスを単なる作業場ではなく、集まる理由のある場所へ作り替える動きは、すでに始まっている。
例えば、部署横断の趣味サークルへの活動費補助、月に一度の集合日、ランチ会の費用負担などは、少額でも効果が出やすい。人事施策として、サードプレイスの考え方を取り入れる価値がある。
画面と対面を対立させず、組み合わせて設計する
注意したいのは、スマホを敵視しないことである。予約や告知はアプリで行い、当日は画面を閉じて過ごす、という設計が現実的だ。オンラインで関係の入り口をつくり、対面で深める流れにすれば、双方の強みを生かせる。
事業者は、参加のしやすさと、画面から離れたくなる体験の両方を設計してほしい。